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イイムロがいく おしかけ職場探訪Vol.6[石黒繭子さん 第1話]

大学院で自閉症や発達障害を専門に学んだ繭子さん。地元・名古屋を出て長野のNPOに就職した際は2.3年の“修行”のつもりだったそうですが、気がつけば10年を超え複業として起業もしました。WEB版第1回では長野で働くに至った話、そしてご自身の会社の起業の理由などを伺いました。Biotope紙面では紹介しきれなかったロングインタビュー、Web版として全3回に分けて公開です。

石黒繭子さん
名古屋市出身。社会福祉協議会でのボランティアコーディネーターや保育士を経験したのち、大学院に進学し自閉症や発達障害を専門に学ぶ。2011年からは飯綱町のNPO法人に勤め、障がい児が通う施設を立ち上げ運営。2021年に株式会社ククリテを設立し、ひとり親や脱養護する若者たちの居住支援も始める。 

第1話:『社会人、大学院、就職。そして複業としての起業

飯室(以下、飯):繭子さん、今日はよろしくお願いします。繭子さんが長野に来られたのは、確か2011年でした。

繭子(以下、繭):そう、東日本大震災の3.4日後くらいだった。

飯:震災後ほどなく長野にも移住者が増えた実感がありますが、繭子さんの場合は震災とは関係なく偶然そのタイミングになってしまったんですよね。

繭:そう。大学院で自閉症や発達障害を専門に勉強していたんだけれど、どうしても実践が足りない。それを積むために名の通った先生の元で修行がしたいと思って、そういう方がいるところを就職活動で回っていたの。

飯:大学卒業後に一度社会人を経験されてから大学院に進学されているので、2度目の就職活動。何か違いはありましたか?

繭:大学卒業してからは、社会福祉協議会、保育士として働いて、それから大学院に。もう転職3回目だったから、仕事選びの基準として大きかったのが人間関係。本質ではないところで悩むのが嫌だなって思って。

飯:なるほど。

繭:だから就職活動で東京など大都市を見に行ったときは、組織も大きいし、ここに私みたいな大学院卒の転職組が入ったら煙たがられるかもな、とか考えてしまって。そんなときに長野の福祉関係のNPO法人の見学にも行った。でも名古屋からだと北信は遠いし、そのNPOの代表はプロとしてとても厳しいひとだと聞いていたから、そのときは就活というよりもただ見学のつもりで。

飯:実際に見学されてみて、どうでした?

繭:そうね、組織は県外の人で構成されていたんだけれど、のんびりゆったりやっているように見えた。大きな組織を見た後だったからなおさらだったのかも。それまでは1日12時間くらい働く仕事してきたけれど、見学のときは野尻湖でカヌーに乗せてもらって、「こんな生活、生き方があるの!?」って衝撃。それ以来カヌーには乗ってないから、いいように勧誘されたのかもしれないけれど(笑)。でも働き方の違いを感じて、「この雰囲気の中で修行を積んでみるか!」って思えた。

飯:カヌーはズルいですね(笑)。繭子さんは今もそちらに所属し、発達障害をもつ18歳以下の子どもたちや、その保護者の子育てサポートを行っています。修行と言うからにはここで学び経験したことを糧にいつか独立しようというイメージが当初からあったんでしょうか。

繭:あったね。何はともあれ、地元の名古屋には帰りたい。だから、長野で働くのも2.3年のつもりだった。結果として長くいるけれど、今でも「移住者ですか?」って聞かれると、そんな感覚で来たつもりもないし。

飯:長野生活が10年超えた今でも、そんな気持ちなんですね。

繭:やっぱり名古屋に戻るつもりはある。でも今は、名古屋に戻ってずっと名古屋で暮らすっていうイメージもないんだけれど。

飯:繭子さんは本業として組織に属しながら、2021年に株式会社ククリテを起業されています。

繭:ククリテは複業のつもりで始めていて、そこに大きな決意があったり、熱い想いがあったりするわけでもないの、全然。「団地の運用をやりませんか?」っていう話が、縁あって私のところに回ってきて。

飯:思うに、ただの団地の運用であれば繭子さんのところに話は行かないと思うのですが、そのコンセプトがポイントになってくるわけですね。

繭:ひとり親のシェアハウスを広げようとしている方がいたの。シングルマザーっていうのはこれまでの自分にとってもサポートの対象者だったし、お母さんが元気になったらこの世界は元気になるだろうなって思ってた。加えて、社会的養護の若者というのもそう。障がいを持ったマイノリティの子育てをサポートしたり、不登校の子供たちの居場所づくりや大人になってゆく成長、進路のサポートというのは本業でやっていることでもあったし。だからそのシェアハウスの話が巡ってきたときに、違和感がなかった。

飯:そこで、シェアハウスの管理運営をククリテの事業のひとつとして行うようになるわけですね。この建物は元公務員住宅として使われていた築47年の団地。事業を始められる際に行ったクラウドファウンディングのサイトでは “住む人々が区切られた生活をするのではなく、部屋から出てきてシェアハウスに住む人たちと交流したり、近所に住む方とお茶を飲んだり、庭を開放しつつ休めるような場所となるように、団地の一画を改装してシェアスペースを作りたいと考えています。” とありました。次回のインタビューでは、ククリテのプロジェクトを知るために、繭子さんが福祉の道に進んだきっかけや本業のNPOでの活動について伺っていきたいと思います。

(続きます)

1166バックパッカーズ

飯室 織絵

兵庫県出身。2010年に長野市にてゲストハウス・1166バックパッカーズ開業。ガイドブックの情報ではものたりない旅人と地元のひとを緩やかに繋ぐパイプ役を目指す。日々旅人の話を聞かせてもらうなかで聞き・書きにも興味を持つ。

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