イイムロがいく おしかけ職場探訪Vol.9[廣政あやさん 第1話]
国宝・善光寺までわずか数百メートルの長野市西之門町で生まれ育ったあやさん。第1話では幼少期の思い出から大学進学、初めての就職、そしてその後こまつやの開業に大きな影響を与えることになるD&DEPARTMENTとの出会いまでを振り返ってもらいました。Biotope紙面では紹介しきれなかったロングインタビュー、Web版として全3回に分けて公開です。
廣政 あやさん
長野市出身。進学した京都の大学では日常の暮らしに欠かせない衣や住について学ぶ。卒業後は料理写真専門のスタジオ勤務を経て、ロングライフデザインをテーマに活動するD&DEPARTMENT大阪店のキッチンスタッフに。結婚を機に長野に戻り、実家を改装し夫婦でパスタと自然派ワインのお店・こまつやを開業。西之門町の青年部にも所属し、夕涼み会やこどもレストランなど地域活動にも主体的に関わる。小学2年生と中学2年生の姉妹の母。
第1話:回り道をしながら憧れのお店で働き始めた20代
飯室(以下、飯):ランチ営業を終えたこまつや店内で今日はお話を聞かせていただきます。あやさん、どうぞよろしくお願いします。
あやさん(以下、あ):はい、よろしくお願いします。
飯:こまつやはこの春で開業15周年だと思いますが、ここは、もともとは、あやさんのご実家で、江戸時代から続くお店だったと伺いました。幼少期の西之門町はどんな様子でしたか?
あ:そう、ここはおばあちゃんが箒やちりとりなど生活雑貨を取り扱っていた雑貨屋(小松屋荒物雑貨店)。向かいの駐車場は昔は砂利の駐車場で、西之門町の人たちはみんなそこを借りて車を停めていて、子供たちは夏休みにそこでラジオ体操をしたり、野球をしたりしてたね。大本願の門のところには畳屋があった。今クリーニングの看板が出ている場所は金物屋。傘屋(三河屋洋傘専門店)や布団屋(箱山ふとん店)は昔のまま。仁王門の方に曲がる角は歯医者だった。
飯:小学生、中学生って毎日同じ道を通って学校に行きますし、行動半径もさほど広くないですから、目を閉じるとその頃の景色ってふわっと思い出せますよね。あやさんは何歳までここで暮らしていたんでしょう。
あ:高校を卒業して1年間予備校に通ったので、19歳までかな。ちょうど長野オリンピックの年でね、私は受験がわりと早く終わったので、母がもらってきたチケットでアイスホッケーとかスピードスケート、セントラルスクゥエアでの表彰式とか見に行ったのを覚えてる。とにかく人が多かったね。
飯:その後は関西に出られたんでしたっけ。
あ:インテリアコーディネーターになりたかったんだけれど長野県内には行きたい大学や学部がなかったので京都の大学に進学してね、生活造形学科で 「衣食住」 から「食」を抜いた「衣」と「住」 を専門的に勉強をしてた。
飯:あやさんは「食」の印象が強かったのですが、元々は 「衣」と「住」の勉強をされていたんですね。インテリアというのはご実家が雑貨屋というのも影響していると思われますか?
あ:うーん、小さいころから雑貨屋さんに行くのは好きだった。いつか自分の好きなものに囲まれたお店をやれたらいいなという夢もあったし。それで進路を絞るときに、インテリアや建築、住環境を学びたいなと思って。
飯:なるほど。
あ:でも大学で勉強していくなかで「衣」、つまり服飾はあんまり得意じゃないことに気がついて。じゃぁ「住」だと思ったけど、建築とかって理系でしょ。それも違うかなって。そんなとき父からもらった古いカメラで写真を撮り始めたの。京都でお寺に行ったときとか、友だちと遊びに行ったときとかにね。自己流だったけれど、それがすごく楽しかった。
飯:授業では得意じゃないなぁと思うことが重なったけれど、別のところで楽しいことが見つかったんですね。
あ:それで就職活動のときに大学の就職実績を見ていたら、写真事務所っていうのが目に止まって。それを見たときに、ちゃんと写真の勉強をしてみたいなと思ってね。「お手伝いさせてください、アルバイトでもいいので」って勢いでそこにメールしたの。それがきっかけで4年生のときにアルバイトさせてもらうことになって。
飯:勢いを感じます。どんな場所だったんですか?
あ:料理研究家の奥さんと写真の先生である旦那さん、そのご夫婦の写真スタジオだった。奥さんが実際に料理をしているのを写真に撮ってそれをウェブサイトに上げるのがメインの仕事。機材を運んだり、レストランでの撮影もあった。大学卒業後もここで働けたらいいなと思っていたら、じゃあ卒業後は正社員として続けていいよって言ってもらえて。
飯:順風満帆ですね。
あ:でもね、いざ正社員として働き出してみるとアルバイトのときとは違って言葉遣いや礼儀も学ぶことが多くて。それが厳しく感じて、急性腸炎になって救急車で運ばれもしたの。写真を撮るのは楽しかったのに働くことが苦痛になってる自分がいて。
飯:楽しいのに、苦痛になってしまった…。
あ:そう。それであるとき料理研究家の奥さんにすごく怒られて落ち込んでいたんだけれど、そんなときにD(D&DEPARTMENT。以下、D)の大阪店ができる、オープニングスタッフを募集しているっていうのを知って。
飯:補足すると、Dはロングライフデザインをテーマにしたストアスタイルの活動体。東京店が2000年にスタートして、その2年後の2002年に大阪店が直営2号店としてオープン(大阪店は2017年5月に閉店)していますね。各店舗にはカリモク60などの家具や雑貨を販売するショップ、そしてカフェが入っています。ちょうどこの大阪店がオープンする頃の話ですね。
あ:Dは前から好きで、東京店にも何回か行っててね。就職活動で上京したときリクルートスーツのままDの東京店に寄ったんだけれど、かっこよくてワクワクが止まらなかったのを覚えてる。そんな大好きな場所が大阪にもできるんだって知って、夜中に履歴書を書いて応募した。その勢いで、写真スタジオの方には「一身上の都合により退職させていただきます」って言っちゃった。
飯:D東京店、ワクワクが止まらなかったんですね。あやさんは何かやりたいことが見つかったとき、決断力があるように思います。まだ採用も決まっていないのに辞めるっていっちゃいましたか。
あ:そう、まだ面接すらしていないのにね。それでDから連絡が来て、じゃあとりあえず面接しましょうって。でもね、ショップスタッフとして働きたくて履歴書を書いたはずなのに、自分でも全然覚えていなかったんだけれど、間違って第1希望にカフェのキッチンスタッフ、第2希望にカフェのフロアスタッフ、第3希望にようやくショップスタッフって書いていたんだって。「え!私、第1希望にキッチンって書いてますか!?」って面接でこっちから聞いちゃった。でも「キッチンスタッフが誰もいないからとりあえずやってみて」って言われて、「わかりました」って。
(次回に続きます)
1166バックパッカーズ
飯室 織絵
兵庫県出身。2010年に長野市にてゲストハウス・1166バックパッカーズ開業。ガイドブックの情報ではものたりない旅人と地元のひとを緩やかに繋ぐパイプ役を目指す。日々旅人の話を聞かせてもらうなかで聞き・書きにも興味を持つ。