イイムロがいく おしかけ職場探訪Vol.7[ながはり朱実さん 第1話]
仕事を楽しんでいる最中にわかった妊娠、出産に、「あれ…これ、仕事できないじゃん」と思ったながはりさん。人生のステージが変わる際、それまでの仕事をどうシフトチェンジしていったのか。Biotope紙面では紹介しきれなかったロングインタビュー、Web版として全3回に分けて公開です。
ながはり朱実さん
長野県中野市出身、長野市在住。保健室の先生になるため短大に通うも、実習中に血がダメなことに気づく。唯一の光となった保健だよりの作成がきっかけで、卒業後は広告制作会社に入社。2003年から「ながはり朱実制作室」主宰。活動の場はデザインやイラストだけでなく、コラムや漫画、雑貨や紙芝居制作など多岐に渡る。旦那さんの営む喫茶・sirafuには談話室「凡知っち」が併設され、ながはりさんの蔵書漫画の閲覧や、雑貨購入もできる。
第1話:子育てが一番クリエイティブな仕事
飯室(以下、飯):ながはりさん、今日はよろしくお願いします。いつもコーヒーいただきにお邪魔している、ご主人のお店・sirafuさんでお話を聞かせてもらうというのも、なんだか不思議な感じがします。ながはりさんは、長野県中野市のお生まれでしたよね。学生時代も長野県だったのですか。
ながはりさん(以下、な):そう、そう。ずっと長野のひとなの。学生時代は養護教諭の免許を取ろうと思って県内の短大に行って。でね、そのとき病院実習に行ったんだけれど、そこで私、血がダメなことに初めて気がついて。今でも思い出すのは、 耳鼻科で研修の時にいらっしゃった患者さん。先生がそのひとの鼻から包帯をずんずんずんずんずんずんずん出していくの。
飯:ずんずんずんずん、ですか…
な:そう、包帯が出てくるの。ちょっとずつ色が変わって…。なんかね、マジックみたいで。そのうち「ハックション!」ってくしゃみが。先生はその飛沫を浴びながらこう、ずっと包帯を出していて。それがすごく衝撃的で。夢によく出てくるの、その映像が。
飯:未だに…
な:なんかトラウマっていうか、そういうのが自分は苦手だってことに気がついて。学校実習が始まってからも生徒全員で何百人っているのを自分ひとりで診るんだと思ったら、なんだか怖くなってね。もうやれることないや…って思っていたんだけれど、保健だよりを描きませんか? って現職の養護教諭に言われて。それがすごく楽しくて、唯一見つけた光みたいな感覚だった。
飯:ここで、ながはりさんにとって描くことが光という感覚に気がつかれた。その光がきっかけとなって、グラフィックデザインを学びだす。
な:学ぶというか、ちょうどオリンピックの前だったので、割と市内の広告業界は景気も良くて、求人も出てたの。だから実績はなかったけれど、雇ってくれる会社があって。ありがたいことにそこで10年くらい育ててもらった。グラフィックデザイナーとして仕事をしていたんだけれど、やっぱり絵が描きたかったから、家族を対象にしたチラシを作成するときに家族の絵を入れてみたり。そういうことをやっていたら、イラスト付きの仕事を直接声をかけてもらえるようになってきて。もしかして自分でできるかなって思って、独立した感じ。
飯:31歳のとき。
な:会社にいると後輩に教えなきゃいけない年齢なんだけれど、教えるよりも自分がやりたかったんだろうね。割と、”自分、自分” な感じで独立した感じだったのかも。
飯:そこから、グラフィックの仕事はもちろんですが、イラストや雑貨の制作、紙芝居などさらに展開していますよね。
な:子供ができたっていうのは大きなきっかけだった。それまですごく仕事が好きだったのに、「あれ…子供ってこんなに手がかかるんだ。仕事できないじゃん」って思って。そんなときお仕事先の先輩に相談したら、「子育てが一番クリエイティブな仕事だよ」って言われて。そこからだね、子供との時間をもっと楽しまないと損するなって。子供がキーワードになり始めて、子供っておもしろいなって思い始めたの。自分の家の子供だけではなく。
飯:子供の存在そのものがおもしろくなってきた。
な:そう。それで子供に関連したいろいろなお仕事をさせていただいているうちに、今度は紙芝居に出会って。そういえば紙芝居ってあったなあくらいの感じだったんだけど、実際自分で作って演じてみると、むちゃくちゃ奥の深いメディアだった。
紙芝居って、ちっちゃい劇場みたいなものだから、絵本の読み聞かせと全然違う魅力があったの。
飯:ちっちゃい劇場…確かに、”芝居” とつきますね。
な:絵本は子供と親だったり、先生と子供だったり、お膝の上で密に、「そういえばさっきのページなんだっけ?」って戻れるけど、紙芝居はひとり対大勢。その中で、「今のあぁだったね、こうだったね」とその場に居合わせた人たちでライブでコミュニケーションが取れるのがおもしろい。紙芝居は、自分で描いた絵も出せるし自分で演じられる。こんなに自分が出せるメディアって他にある?って嬉しくなっちゃって。
飯:小さな子供というわけではないですが、専門学校での授業も受け持ってられますよね。
な:今はアニメキャラクターを教えています。その学校の付帯授業で、小学生を対象にした、こども美術もお手伝いしているよ。
飯:この “教える” という仕事には、すんなりと入っていけたものなんでしょうか。自分が手を動かすことはできても、それをひとに伝えるというのはまた違う脳みその使い方のような気がします。
な:うん、それはずっと悩んでいて。専門学校の学生とかは、やりたいことを自分で選んだり決めたりして、各々が伸びなきゃいけない場面がたくさんあって。だから「この宿題やってきて」とか「今日はここまでやらなきゃいけない」のような義務教育ともまた違う。それよりもそれぞれの個性が活きるファシリテーションをすることが大事なんじゃないかなって思ったの。それで、何かヒントになるんじゃないかとファシリテーションの養成講座に申し込んだんだけれど、養成講座が始まる前からいい意味で巻き込まれて行ってね。結果、小中学校での演劇を使ったコミュニケーションワークショップも手伝うようになって。
飯:なるほど。
な:現場にいっぱい行くことで、教えるとかファシリテーションするみたいなのが、こう自分なりに肌感覚でわかるようになってきた気がするよ。
飯:ながはりさんご自身の子育てにもいい具合に作用してゆくような気がします。就職した際も、独立してからの教える仕事も、こう、ながはりさんは現場に入り込んでご自身の体を使って吸収してゆく感じですね。
(続きます)
1166バックパッカーズ
飯室 織絵
兵庫県出身。2010年に長野市にてゲストハウス・1166バックパッカーズ開業。ガイドブックの情報ではものたりない旅人と地元のひとを緩やかに繋ぐパイプ役を目指す。日々旅人の話を聞かせてもらうなかで聞き・書きにも興味を持つ。