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イイムロがいく おしかけ職場探訪Vol.10[森田舞さん 第1話]

地元の長野愛に満ちているように見えますが、小中高とうまく友だちが作れず早く長野を出たかったという舞さん。22歳で結婚し、長野に戻ってきたのは28歳の頃。Web版初回は長野に対する自分の気持ちの変化、そして社労士の資格を取るまでの道のりを伺いました。Biotope紙面では紹介しきれなかったロングインタビュー、Web版として全3回に分けて公開です。

森田 舞さん
長野市出身の両親のもとに生まれる。神奈川へ進学し就職、結婚。夫婦ともに無職で長野に戻る。半年の猛勉強の末に社会保険労務試験にふたりで合格し、開業。その後コーチングを学び、コーチングアカデミー長野校を開校。母としては長年不妊治療を経験。体外受精の末に37歳で第1子を出産、流産を経験しつつ41歳で第2子を出産。子どもの夢をサポートできるママを増やすべく「ゆめサポママ@ながの」も運営し幅広く活動中。

第1話:嫌いだったのは長野じゃなく、長野にいたころの自分だった

飯室(以下、飯):舞さんのことを知ってかれこれ10年くらい経つのですが、こうしてきちんとお話するのは今日が初めてです。今日はよろしくお願いします。

舞さん(以下、舞):今回、声をかけてもらってすごく嬉しかったです。

飯:舞さんは、長野市のお生まれでしたよね。

舞:今は県町に住んでいるんですけれど、諏訪町にある亀の湯(銭湯)の前に、昔、亀の湯旅館ってあったんですよ。母がその旅館の末っ子なんです。そして父の家は権堂アーケードを超えた西鶴賀でお米屋さんをやっていました。なので父と母はほんとうにこの辺の人だったんです。

舞さん(左)の小さい頃。祖母・従姉妹と、亀の湯旅館の前にて。

飯:お母さんのご実家は諏訪町の旅館、お父さんのご実家は西鶴賀町の米屋。舞さん自身も、小さいころからこの界隈で育ったという感じですね。

舞:ただ私は、母が里帰り出産をしていたので権堂の病院で生まれましたが、当時、両親は東京で暮らしていたんです。だから私も小学校1年生までは東京で育ちました。

飯:そうでしたか。ご家族で長野市に戻ってこられたのは、何かきっかけがあったんでしょうか。

舞:両親は東京で会社員をやっていたんですけれど、お店をやりたいという夢があったそうです。でも東京では子供3人を育てながらだと何もできない。なので夢を叶えに長野に帰ってきたんですよ。婦人服屋さん、当時でいうブティックを中央通りで始めたんです。家もお店も小学校から近かったので、学校が終わったら家に帰る日もあれば、中央通りのお店に帰るときもあって。あと、おばあちゃんの家に行くっていうと権堂アーケードの先なので、もう本当にこの辺で生活していました。

舞さんとご両親。権堂アーケード東側に位置する西鶴賀町にて。


飯:なんでも知ってそうですね、この界隈のこと。

舞:私は界隈のことはよくは知らないけれど、知っている人とは繋がれますね。でも、私自身は長野が好きじゃなかった。小中高とうまく友だちができなかったから、早く長野から出たいと思っていて、神奈川の学校に進学しました。

飯:今は長野愛に満ちているように見えますが、当時は長野が好きじゃなかった。


舞:そのまま神奈川で就職して、入った会社で夫と知り合ったんです。夫が仕事を辞めるときに、じゃぁ一緒に辞めようってなって。社内恋愛は禁止だったから、黙ってふたりで辞めました。

飯:社内では付き合っていることは内緒だったんですね。それで、その後ふたりはどうされたんですか?

舞:私はいつかもうちょっと長い期間を海外で過ごしてみたいと思っていて、いざというときのためにお金も少し貯めていたんです。そうしたら彼も、どうせ転職するし人生長いから1年ぐらい海外へ行ってもいいよねって。それで、ふたりでオーストラリアへワーキングホリデーに行くことにしたんです。

飯:20代前半、舞さんのエネルギッシュな姿が想像できます。

舞:ワーホリから帰ってきて何年かは神奈川でまた仕事をしていたんだけれど、やっぱり会社っていうのが性に合わなかったんです。それに私は出産なんて怖いことをひとりではやれないし、夫には立会い出産をしてもらいたかった。でも会社勤めをしていたら、そんないいタイミングで、ましてや長野で里帰り出産だったら休みを取るなんて無理だと。それだったら融通のきく自営業だと思ったんです。

飯:立ち会い出産が自営業へのモチベーションだったんですね。

舞:それで夫が資格の勉強を始めました。仕事を辞めて勉強に専念してもらったけれど、いい結果がでなかった。それで、このままここでもう1年勉強を頑張るのか、諦めて就職するのか、それとも夫の実家の近くに引っ越すのか…。今後のことを色々考えた挙げ句、子育てもするとしたら長野に行くのはどうかなって夫が言い出して。長野だったら暮らすイメージも湧くし、私の実家のあたりは駅も近くて生活も便利だっていうのもわかっていたし。

飯:でも舞さんは長野が好きじゃなくて県外に出たと思います。その頃は長野のことはどう思っていたんですか?

舞:私は一生長野に帰るつもりはないと思っていたんだけれど、夫がそう言ったとき、おもしろいかもなって思えたんです。

飯:おもしろいかも、と。実際はどうでしたか?

舞:私も子育てには長野の方がいいかもと思っていましたし、長野に戻ってきたらやっぱりよかった。私は長野が嫌いだと思っていたけれど、実は長野にいたときの自分が嫌いだったんですよね。ほんとうは長野は何にも悪くなかった。自分のことがまぁまぁいいじゃんって思えたり、ダメな自分でもいいやと思えるようになったときに、長野に戻ることは全然苦にならなかった。

飯:自分のことを認められるようになると、長野っていいところだと思い直せた。

舞:そう、それで、長野に戻ってきて、じゃあもう1回だけ資格の勉強をしようって。そのときはリスクを回避するために私も一緒に勉強しました。それで目指したのが社会保険労務士。ふたりで勉強して、たまたまふたりで同時に合格できて。奇跡ですよね。社労士としての実務経験はなかったけれど、当時は勤めているわけでもなかったので、試験に受かったってことは開業しかないよねって。

(続きます)

1166バックパッカーズ

飯室 織絵

兵庫県出身。2010年に長野市にてゲストハウス・1166バックパッカーズ開業。ガイドブックの情報ではものたりない旅人と地元のひとを緩やかに繋ぐパイプ役を目指す。日々旅人の話を聞かせてもらうなかで聞き・書きにも興味を持つ。

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